2007年08月28日 (火) 18:59 | 編集
野宮真貴は1980年代に野宮"ロマン"真貴としてシングル「女ともだち」でデビューし、22歳のときに中原信雄、鈴木智文と共にポータブル・ロックを結成します。ポータブル・ロックとしての活動を続けると共に1984年前後にはムーンライダーズの資生堂CM曲「パーキー・ジーン」やSP「M.I.J.」などの楽曲でボーカル、ラップ、コーラスを担当し、1988年以降の田島貴男ヴォーカル期のピチカート・ファイヴの楽曲でコーラスとして参加します。そして、1990年にピチカート・ファイヴに3代目ヴォーカルとして加入し、2001年3月に解散するまで、日本とヨーロッパを中心に世界的な活動を行います。解散後はソロ活動を進める他、2004年に m-floのアルバム『ASTROMANTIC』に参加、2005年に「野宮真貴 loves m-flo」としてシングルを発表するなど、他のアーティストとのコラボレーションも積極的に行っています。
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